2013年3月20日水曜日

my 肩書き論


【就活時の超有名企業に対する潜在意識】
マッキンゼー、ボスコン、GS、モルガンスタンレー・・・多くの学生が働いてみたい!挑戦してみたい!と思う企業がある。
・こんな超有名企業に立命館の学生が受かるわけがない!
・受けっている人は帰国子女か体育会系のごく一部の学生
・筆記テストの勉強がめんどくさい(頭悪いから無理だ)
と端から自分の限界を決めていたと思う。
※上記の考え方・判断が"そもそも論”として良かったのか、悪かったのはかは今でも判断できないけど…

【ここから本題】
どうして自分が肩書きに固執するか、色々と考えてみた。
①素直に自分に自信がないから ②「地方でビジネスをするには肩書きが必要!」という家族の教えがあったからだと思う。

①就活で行う「自己分析」を極限まで進めていくと、自分自身の見られたくないもの・感情・コンプレック等々、自分が求めていることはこの「肩書き」にあったのだと思う(厳密言えば薄々認識していたが、それを認めたくなかったんだ)

②家族で「ビジネス会議」みたいな事をよく行う。父さんも姉ちゃんも0からビジネスを立ち上げた経験があるが、やっぱり肩書きというか「信用」が重要だと話にあがる。特に30才を超えるまで「なめられる」(表現は悪いが)や「若く見られる・信用されない」という状態が続くらしい。「○○に数年いました」と言うと、地方では割と早く信用され、スタート時の取引が行いやすくなるのは事実。

信用を築きあげるには時間がかかり、信用が壊れるのは一瞬

正直今の自分は肩書きで仕事をしているし、自分からこの名刺を取ると悔しいけど何も残らない。←家族からこの点はよく注意しろ!驕るな、と言われる。

「いつかは肩書きなんて必要ない!重要なのは情熱だ!」って言い切れる日が来ればいいのになーと、肩書きループから脱却できない僕でした。