2020年4月18日土曜日

シン・選択と集中 -アフターコロナの世界-

「選択と集中、これが絶対だ」
組んだ指に顎を乗せ、見下した調子で僕を見上げた彼は間違いなくラスボスだった。ビジネススクールの教室での一コマだ。社会人大学院生しながら会社経営の入門者の僕に、先生はよほど言いたいことがあったらしい。どっかり座った彼の両脇には分厚い本が山と積まれていた。
「お母さんを見ていれば分かるだろう、餅は餅屋だよ。希代不二くん」ナポレオンとか孫子などを並べ立てた長口上の最初と最後、彼の言葉で覚えているのはそれだけだ。

うちは商売っ気の強い一家だ。父はバルブ屋、母は餅屋。僕は一つの家族が二つの会社を経営し、共存させる様子を見ながら大人になった。どっちも小さな会社だけど、歯を食いしばって金策なんかしなくても、必要経費と基本戦略、何より愛想さえ押さえていれば食っていけた。これが平成の後半に、アホな経営の見本のように言われる『多角経営』に分類されているとは、当時の僕には知る由もなかった。
先生!バルブと餅屋以外にも実はあと3つくらいビジネスあるんですけど・・・全部キャッシュカウです...なんて言えないな。

「一つの事業に集中しない上場会社は不透明で投資家が寄り付かない」「コングロマリット・ディスカウントって言葉知ってるか」「早くどっちか畳んで楽になれよ」 MBA とは"(M)まわりの(B)ビジネスを(A)ああでもないこうでもないと言う連中"の略だな、と思った。

現在、2030年。僕は苦しくなった近所の色々な会社を引き継ぎ、5つの会社を経営している。例の肺炎は世界中に広がり、その後も数か月ごとに流行と休眠期を繰り返した。死者は世界で数万人。そしてその影響で倒産した企業は数百万社。株式市場は主を無くして名義だけになった会社の共同墓地と化した。

サーベル一本じゃナポレオンだって戦えないのに、多くの会社は「選択と集中」を何の疑念も持たずにやってきて、そして正しく負けたのだ。僕の引き継いだ会社も昔からの家族の知り合いで、小ぶりに見えても売上は1億円は超え。ただ後継ぎが居なかっただけの、磨けば光る中小企業。

事業承継の相談を受けている最中にコロナが直撃し、対面営業だけでやってきたそれらの会社はすぐに傾いた。店の名前だけでも残してあげたかった僕は自分で事業を引き受け、吸収せずに別会社のまま経営し続けた。独自商品もノウハウも詰まった個性溢れる中小企業を、単一の上下関係に組み込んでしまうのはもったいなさすぎる。その異なる企業の個性が時には他の企業を助け、経営者としての僕はコロナ危機を生き残った。

この間、コロナ感染者の最後の一人が退院したとニュースで知った。新しい感染者が出ずに二週間経ったら、僕の原点の一つである母の餅屋での対面販売、再開してみようかな…と思っている。もちろん何人ものお客さんが密集すると危ないから、店の出入口にごく小規模で。

雑草のようなしぶとさと朝言っている事が夕方には変わる朝令暮改の柔軟性がファミリービジネス一家で身についた武器だ。たった一つのカッコいい武器なんて必要ない。剣に弓、小石にパチンコと何でも使って、この容赦ない現実を生き残る。

2030年、不確実性を加味し、小さな企業でも全く異なるビジネスを経営する企業が増えてきた。1つの事業に集中しすぎると、ビジネスリスクが高まるからだ。シン・選択と集中と呼ぶことにした。

そうそう、この間ちょっとスカッとする話があった。ビジネススクールから、僕に講演依頼のメールが届いたのだ。新時代の多角経営の先駆者として、そのノウハウを学生に話してほしい。推薦者は何と「餅は餅屋」と僕に説教したあの先生。講演料ははずんでくれるそうなので、今度会ったら言ってやろうと思う。

『餅はバルブ屋でしたね、先生』

#フィクション

2 件のコメント:

  1. このコメントはブログの管理者によって削除されました。

    返信削除
    返信
    1. せっかくコメント頂いたのに、誤って削除してしまいました。また引き続きよろしくお願い致します。

      削除